2009年12月31日木曜日

沢木耕太郎 2冊 ― 「愛」という言葉を口にできなかった二人のために / 世界は「使われなかった人生」であふれている

「愛」という言葉を口にできなかった二人のために
「愛」という言葉を口にできなかった二人のために

世界は「使われなかった人生」であふれている (幻冬舎文庫)
世界は「使われなかった人生」であふれている (幻冬舎文庫)

沢木耕太郎氏の著作が好きだ。「深夜特急」やこのブログでも紹介した「バーボンストリート」。常にどこか違う視点、会社に勤めなかったという意味で一般とは違いながら、かと言ってプロのジャーナリストと言われるのにも戸惑ような、どこか茫漠としたところがある独特の視点。社会との距離感だけを見ると、冷めているようでいながら、人間への、社会への愛が感じられるその文章に引きつけられる。

この2冊は氏が「暮らしの手帖」に連載していた映画エッセイを収録したものだ。映画評と呼んでも良いのかもしれないが、氏もあとがきで書いているように、そう呼ばれることを望んでいないし、実際に映画の評論というのとは少し違う。むしろ映画を素材にして書かれたエッセイというのにふさわしいものだ。それでも、きちんと映画の紹介になっているし、映画に対する氏ならではの評価もされている。

「愛」という言葉を口にできなかった二人のために ― 「愛」という言葉を口にしたことのある人は少ないのではないだろうか。日本語で「愛する」という言葉はこそばゆいものであり、男女の間だけでなく、本来は親子間や自然や組織に対しても使えるはずの言葉がなかなか使われない。私の偏見かもしれないが、そう思う。だが、日本語という言葉の問題だけではなく、この「愛」という言葉は使うのに勇気がいる。それは、「口にできていたら、状況は大きく変わっていた」かもしれないのだが、「ひとたび実際に口に出したとすれば、『あのとき口にできていれば……』という甘美な記憶は失われることになる」ためだ。つまり、「『愛』が成就したとしても、」その「成就した『愛』は変容」し、「姿や形を変え、それが『愛』であったかどうかということすら不分明になるほど色褪せてしまうことが少なくない」からだ。これは書籍の冒頭の「『愛』という言葉を口にできなかった二人のために」という書籍タイトルと同じエッセイの中に書かれていることだが、まったくそう思う。こう書いている氏のエッセイ自身が「甘美」なトーンで覆われている。こちらの書籍では、このように「愛」という言葉を口にできない二人が登場する映画が紹介される。

世界は「使われなかった人生」であふれている ― 「あの時、XXXだったら」と考えることは多いだろう。人生の分岐点において、ある選択をしたために今の自分がいるのだが、別の選択をしたらどうなっていただろうか。このような選択における別の選択肢は「ありえたかもしれない人生」と「使われなかった人生」になる。似ているが、氏はこの2つは違うと本書の中で言う。
一見、「使われなかった人生」は「ありえたかもしれない人生」とよく似ているように思える。しかし、「使われなかった人生」と「ありえたかもしれない人生」とのあいだには微妙な違いがある。「ありえたかもしれない人生」には、もう届かない、だから夢を見るしかない遠さがあるが、「使われなかった人生」には、具体的な可能性があったと思われる近さがある。

実際のそれを選択できる資格もあったのだが、それを単に選ばなかっただけというのが「使われなかった人生」なのだが、多くの人にもある、このような「使われなかった人生」に関係する映画が紹介されているのが本書だ。

この2冊、どちらも大変素晴らしいエッセイだ。

ただ、真の映画評ではないが、映画の紹介はもちろんされていて、核心部分こそぼかしてはいるものの、エッセイを読めば映画のストーリーはだいぶわかってしまう。それは当たり前ではあるが、氏の手にかかるとどの映画もとても素敵に思え、観てしまいたくなるので、ストーリーがわかってしまうことだけが残念になる。

来年はもっと映画を観てみようと思わせた素敵な2冊。

2009年12月29日火曜日

ウエハースの椅子

新潮文庫から発売されている「ウエハースの椅子」。しばらく前に電車の中吊り広告で「『神様のボート』に続く傑作恋愛小説」と書かれていたのを見てからずっと気になっていた。



後で知ったんだけど、文庫化されたのはハルキ文庫がもともと最初で、今回は新潮文庫から出されたものらしい。良く分からないのだけれど、こういうことは良くあるんだろうか。私はハルキ文庫のものをブックオフで購入して読んだ。

ウエハースの椅子 (新潮文庫)
ウエハースの椅子 (新潮文庫)

神様のボート」は江國香織さんの小説で私が最も好きなものだ。傑作なので、読んだことのある人も多いと思うが、恋愛の持つ狂気を江國さん独特の世界観で書いたものだ。読んでいて苦しくなるし、読み終わった後に怖くなるし、好きな小説なんだけれど、誰にでも安易に勧められるものではない。

この小説と比較されるということで期待して読んだが、そこまでの傑作とは思えなかった。好きな人には悪いのだが。

「神様のボート」と同じく恋愛と狂気が書かれているのであるが、書かれている狂気が「神様のボート」には及ばない。恋愛についても「神様のボート」に書かれているような「骨ごと溶けるような恋」とは言い難い。なにせ、「神様のボート」ではあの人を思い続けて、引越しを続けて生きていくのだから、その狂った恋に勝てるものはそう無い。

いなくなってしまった人に囚われる恋ほど狂気を感じるものはない。幸せかもしれないし、もはや存在しないものを愛し続けることは不幸なのかもしれない。

そういえば、飛行機の中で「きみがぼくを見つけた日」(原題: The Time Traveler's Wife.なんだってこんな邦題なんだろう)を観たのだけれど、これも最初から「囚われて」しまった人の愛の話だ。時間旅行する男が自分の幼少の時から現れ、そして彼が死んだ後も彼がまだ生きていた過去から現れる彼と再会する(あぁ、ややこしい)。映画の出来としては、「ゴースト/ニューヨークの幻」と同じくらい大衆的なお涙頂戴映画なんだけれども、生から死への非可逆な時間の流れと愛というものの組み合わせとしては良く出来ていたと思う。Twitterでも書いたのだけれど、萩尾望都さんのマリーンと作品にも通じるものがある。

萩尾望都さんのマリーンについては 天才・萩尾望都の描いたテニス少年の物語 を参照。やばい。また読みたくなってしまった。

あれ、なんの話だっけ。

きみがぼくを見つけた日 [DVD]
B002QMMIBO

ジーパンをはく中年は幸せになれない

2ヶ月くらい前に書店で平積みにされているのを見て以来、気になっていた本。11月下旬に読了。

私に会ったことのある人は知っていると思うが、私は普段はジーンズ(いわゆるジーパン)しか着ない。10代や20代のころは痩せすぎていたため、ジーパン以外だと足の細さが目立ってしまい、他に選択肢が無かったこともあってジーパンを愛用するように。それが今でも続いている。ちなみに、今はそんなに足は細くない。立派な中年で贅肉があちこちにちゃんとついている。

ロックをやっていた私にとって、ジーパンとTシャツは体制への批判のシンボルであった。社会人になってからしばらくはスーツで勤務しており、それはそれで社会への通過儀礼としては当たり前であったし、環境への順応が早い私としても苦痛ではなかった。だが、カジュアルな服装での勤務が認められてからはもっぱらジーパンで通っている。今でも、スーツなどを着るのは「コスプレ」と自分でも冗談で言うほどで、年に数回しかない。

本当は「僕と私とジーンズとスーツ」というタイトルで別エントリで書こうと思っていたくらいなのだが、一人称の呼称としての「僕」と「私」。そして、「ジーンズ」と「スーツ」というのは私にとって同じように対比されるものである。「私」や「スーツ」は社会通念上一般的とされるクラスタへの従属の象徴である。このブログでも、多くの場合、私は自分のことを「私」としているが、一部のエントリで意識的に「僕」としているものがある。これはあえて、青臭いかもしれないが、社会通念上属すると思われるクラスタとは無縁に、自分の本当の肉声でメッセージを発してみたものだ。

というくらいに、ジーンズに思い入れがあるため、「ジーパンをはく中年は幸せになれない」というようなタイトルは正直、私への挑戦であり、神経を逆なでするものだった。

だが、読んでみると、タイトルが確信犯的に釣りを狙ったものであることがわかる。中年とジーパンの話は冒頭に少し出てくるだけであり、それ以外は人がつい行ってしまう行動を心理学的に分析している。

ジーパンと中年という組み合わせは、人は年齢とともに心も成長(変化)するという話のたとえとして出しているだけであり、この話が延々と続くわけではない。「自分の実年齢に馴染めない」というのは「アイデンティティの更新」が出来ていないことであり、これが続くと老年期への心の準備が出来ないと説く。これはこれで大きなお世話なのだが、ジーパンはあくまでも例として出されているだけである。米国など諸外国のみならず、最近では日本でもブルーカラーを中心に、ジーンズは立派に作業しやすい服として年齢を問わず着られているのは筆者もおそらく知ってのことだと思う。もっとも、私のように「反体制」のシンボルとか未だに言っているのは「アイデンティティの更新」が出来ていないと言われても反論出来ない。

この本で紹介される、ついつい人が行ってしまう行動とその裏にある心理学的な背景。これが実に面白い。読み物として心理学がわかり、またどのような行動で自分が損をしてしまうのかがわかる。言われてみると、なるほどと思うことばかり。たとえば、試験前についつい部屋の片付けなど、関係ないことをしてしまうことがある人も多いと思うが、それも心理学的にはきちんと説明がつく。

ちょっとした読み物としてお勧め。

ジーパンをはく中年は幸せになれない (アスキー新書)
ジーパンをはく中年は幸せになれない (アスキー新書)
アスキー・メディアワークス 2009-10-09
売り上げランキング : 45084

おすすめ平均 star
star不幸にみちびかれるさまざまな意外な心理的要因を解説
star老いを受け入れるのが幸せなのか?
star絶好のチャンスを逃す人 本当は欲しいのに身を引いてしまう人

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2009年12月7日月曜日

THIS IS IT

10月末から2週間限定公開だったのが、要望が多かったということで2週間延期。そこで完全終了したと思っていたので、行けなかった人は一生後悔すれば良いとか思って、勝者の笑みを浮かべていたのだけれど、数日前のニュースでは、再度公開が決まったとか。行けなかった人、良かったねと思いつつ、こういうのはマーケティング手法としてどうなんだろう。担当者を小一時間こめかみにゲンコをぐりぐりさせながら説教したい気分にならないこともなくもない(どっちや!

IMG_1331.JPG

僕の年齢だと、マイケルジャクソンはちょうどリアルタイムに経験した世代になるだろう。高校の頃にスリラーやビートイットがヒットしていた。最初にビートイットを聴いたのは、通学時に友人が聴いていたウォークマンを横取りして聴かせてもらったときなのだが、ヴァンヘイレンみたいなギターみたいだねとか言っていたら、本当にヴァンヘイレンだったので驚いた。

でも、天邪鬼だったせいか、一般大衆にうけるようになったミュージシャンを軽蔑するのがステータスのように感じていたからか分からないが、その後は積極的に聴くことはなかった。ヒット曲は嫌でも耳に入るから、ほとんど知っているが、CDも買ったこともなければ、何度かの来日の際にライブに行くことも無かった。僕はロックで、彼はポップだった。

この映画のことを聞いたときも正直特に行く気は無かった。気が変わったのは、Twitterのフォローしている人たちがべた褒めしていたからだ。

結論から言う。確かに、度重なる延長の仕方やDVD/Blu-rayを売らんかなとするような手法などは、商業主義がかなり見えるかもしれない。だが、マイケルジャクソンのクリエイターとしての立ち振る舞いを見れることは、そのようなことを完全に凌駕する。あなたが何らかの形でクリエイティブな仕事についているならば、見る価値がある。いや、そんなことはどうでも良い。ポップの申し子であり、一時代を飾ったマイケルジャクソンの曲を少しでも好きならば、彼の最後のパフォーマンスであるこの映画を見るべきだ。

映画はオーディションに受かったダンサーのインタビューから始まる。おそらくオーディションの発表直後のインタビューなのだろう。皆、興奮している。涙ながらに話しているダンサーも多い。最後にインタビューされたダンサーの言葉が印象的だ。正確には覚えていないが、次のような話だったと思う。「人生って楽しいことばかりじゃないだろう。辛かったり。なんか生きている証が欲しかったんだ。これがそれだ。This Is It」。僕はこの映画を3度見た(あぁ、気狂いだ)のだが、2度目以降はここで彼がこういうことがわかっていても、いや、わかっているからこそ、彼がロンドンでパフォーマンスを見せることも、その彼が生きる証を取り戻せたマイケルジャクソンももういなくなってしまっているということも含めて、それでも、「これがそれだ。This Is It」と言えるに違いないことを思ったりして、すでに泣きそうになる。

この映画は愛の映画だ。完全を目指すマイケルジャクソンは観客が望んでいるものを把握しており、それを最高の形で届けようとする。それは時に、スタッフとの間で軋轢をうむ。だが、マイケルジャクソンからの指示は極めて愛にあふれたものだ。言葉、仕草、そしてところどころに見せるホスタピリティ。また、稀代のポップスターだからこそできるバックミュージシャンへの心遣い。インナーヘッドフォンがあわなかったときのスタッフへの指摘、女性ギターリストのオリアンティパナガリス(Orianthi Panagaris)がソロを行うときのアドバイスなど。すべて愛に溢れている。

最高の質のものを作るには、個々の素材が最高であることはもちろんであるが、それを組み合わせた際に最高にならなければならない。オールスタープレイヤー軍団が必ずしも強いとは限らないように、組み合わせによって個々の力が殺されることもあれば、倍になることもある。最高を求めるクリエイターとしてのマイケルジャクソン、そしてそれを支えるケニーオルテガ、さらにはそれぞれのプレイヤーや担当ディレクター。モチベーションを高く維持し、そして結果を出し続けるためには、互いへの敬愛と強い主導力が必要なこともこの映画から分かる。

結果として、この映画はロンドン公演そのものを体験できる、マイケルジャクソンがいなくなり、ライブを行うことが不可能になった今では、唯一のものだ。もし生きて、ロンドンでライブが行われたいたらと想像すると、切なくなる。I wish you were here - あなたにここにいて欲しい。特に好きでもなかったはずの僕がマイケルジャクソンに対して、そこまでの感情を持てるようになったのも、この映画のおかげだ。

ここまで1つにまとまったチームがロンドンへの出発直前に、すべてが無になったことを知ったとき、どのような状況になったかは考えたくも無い。救いは、追悼式典でのケニーオルテガのスピーチがとても素晴らしく、そしてミュージシャンたちのマイケルジャクソンの遺志をつぐかのような演奏が感動的だったことだ。



愛という言葉は日本語では時として安っぽく感じてしまうし、照れくさいこともあって、自分ではほとんど使うことはない。だが、彼がてれもせずに、すべてを「愛だよ。L O V E」と繰り返し言うことにはさすがに影響される。

今年の2月に「エコロジーなんてクソ食らえ!」というエントリーを書いた。そこでは、企業や国のエゴの材料にされる環境問題を指摘し、自分はエコロジーなんてまったく興味が無いことを書いた。だが、僕はもともと単純だ。この映画を見て、考えが変わった。今でも、環境保護運動をすることで地球が救えるかどうかは疑問だし、それが最優先のことかわからない。だから、僕は今後も協力する/参加する環境保護運動は選ぶだろう。もしかしたら、団体で行動するようなものには一切参加しないかもしれない。だが、マイケルジャクソンの地球や自然への愛からわかったことは、これはすべて愛するが故の行動なのだということだ。誰しも、美しい自然を見ていたら、それを愛しく思うだろう。それを愛する人にも見せてあげたいと思うだろう。僕はパタゴニアが好きだ。残念ながら行ったことはない。だが、そのパタゴニアの氷河が無くなると聞かされればどうにかしたいと思うだろう。あの美しい氷河を子孫に残したいと思うだろう。自然への愛を通じて、人は優しくなれる。人の愛も自然に囲まれれているからこそ育まれるものなのかもしれない。

This Is It - これがそれなんだ。僕もそう言えるものを持っているだろうか。

マイケル・ジャクソン THIS IS IT(特製ブックレット付き) [Blu-ray]

2009年12月5日土曜日

YOSHIDA MINAKO & THE BAND 2days LIVE

彼女の温もりの残っているうちに書いておこう。昨夜はSTB139にて、吉田美奈子さんのライブ。今年初めに渡辺香津美氏とのデュオライブを見ているから、彼女を見るのは今年2回目。

IMG_1343.JPG IMG_1342.JPG

STB139は初めて来たのだけど、悪くない。開場が18:00であるため17:45にはいないと、登録番号順の席確保が出来ないというのが少し厳しいが、逆に時間の融通さえつけば、18:00から開演の19:30までゆっくり食事が出来るのがうれしい。

今回のメンバーは、岡沢章(ベース)、土方隆行(ギター)、倉田信雄(キーボード)、河合代介(ハモンドオルガン)、島村英二(ドラム)。全員リラックスして楽しんで演奏しているのがわかる。「みんな耳遠くなっちゃって、声が大きいのよ」と美奈子さんが屈託なく笑いを誘う挨拶でライブは始まったが、年齢などはまったく感じさせない。私よりも10歳以上年上のはずなのだが、土方氏にいたっては、永遠のギター少年というような風貌。途中、美奈子さんとのトークで髪を染めていないと言っていたが、それはびっくり。岡沢章氏のベースプレイは堅実だし、河合氏のハモンドオルガンは相変わらず唸っている(河合氏のライブは去年行った)。

二部構成なのだが、かなりの曲数を演奏してくれた。セットリストとかちゃんと書き留めておけば良かったのだが、あいにくと演奏に集中していたため、出来なかった。確か、一部はGracesで終了したのではなかったか。一部と二部の間の時間で、一緒に聴きに行っていた友人に「ライブの歌い方だとわからないかもしれないが、詩が素敵で、僕の大好きな曲なんだ」と力説。昔、ブログにも書いたし、最近、Twitterでもつぶやいたが、「昨日よりも今日を愛している。今日より明日を愛している。心からそう願うだけでいい」― 美奈子さんの声で歌われるとさらにこの素敵な言葉が輝く。

二部も美奈子さんの体全体に響くような声に包まれながら進む。最後は12月のIllumination。この曲も大好きだ。10年以上前にちょうどクリスマスの直前くらいだったろう、(当時の)渋谷公会堂でのコンサートでもこの曲を聴いて、帰りにクリスマス直前の渋谷の街を歩いたことを思い出す。「夜空を飾る星達の数ほどはないけれど明かりを灯すから Merry Christmas & A Happy New Year」― キリスト教徒でもないし、クリスマスなんてもうあまり興味ないけど、愛のメッセージとしての「Merry Christmas & A Happy New Year」。これはこのライブの前に見た素敵な経験とも重なりあう。― 「このまま夜空と ひとつになれ 心が触れ合う 都度 あなたに この歌で伝えよう。Merry Christmas & A Happy New Year」。

残念なのが、とても大きいとは思えないSTB139にまだまだ空席があったこと。彼女ほどのミュージシャンのライブが何故完売にならないのだろう。余裕をもってチケットを入手出来るというのは嬉しいが、継続して演奏活動を続けてもらいたいし、たまには大きいハコでもやって欲しいので、彼女の魅力がわかる人が増えることを期待したい。私も継続して(勝手に)エヴァンジェリストを続けさせてもらう。

2009年11月30日月曜日

マイナス・ゼロ

雑食だし、活字中毒なので、どんな内容の本でも読むのだけれど、サスペンスとかSFとかは最近は本当にご無沙汰だった。特に避けているというわけではないのだけれど、何かどんと背中を押されるものが無かった。いや、待て。確か昨年末か今年初めくらいに、いろんな雑誌でやっている2008年のXXX大賞とかで、「新世界より」とかがべた褒めされていたんで、読もうと思っていたんだ。なんで読んでいないんだっけ? はて。ここでも記憶障害か?

それはさておき、Twitterで誰かがつぶやいていたのがきっかけじゃないかと思うのだが、広瀬正という作家を知った。認められるまで長い間不遇な作家というのは多くいるが、彼もその1人。やっと成功が見えてきたかと思ったら、直木賞は連続で落選し、その後、逝去。

早世した人は伝説となるが、彼の場合、タイムマシンを主題にした小説を多く書いていたこともあり、まるで時の旅人として消えてしまったかのように思われたのかもしれない。

この「マイナス・ゼロ」はそんな彼の処女長編作品。処女作には思えないほど凝った内容だ。いわゆる定番のタイムマシンものなのだが、時間旅行の複雑な螺旋に絡めた人間ドラマが素晴らしい。生きた時代を狂わされるという悲劇を感じさせない主人公が良い。

読み終わった後に思ったが、これは「愛」の話だ。昭和初期の日本の描写がまた良い。

マイナス・ゼロ (集英社文庫)

4087463249

関連商品
ツィス (集英社文庫)
エロス―もう一つの過去 広瀬正・小説全集〈3〉 (集英社文庫)
鏡の国のアリス (集英社文庫)
タイムマシンのつくり方 (集英社文庫)
T型フォード殺人事件―広瀬正・小説全集〈5〉 (集英社文庫)
by G-Tools

2009年11月29日日曜日

工場萌え

工場萌え

急に金曜日夜に工場に目覚めた。理由は言えないが、工場萌えという言葉を聞いたことを思い出し、イメージ検索して僕の心に火がついた。

イメージ検索の結果には「工場萌え」からと思われる写真が多く載っていた。

そうだ。僕はこの風景をいつも追っていたんだ。

最近、首都高速横羽線に乗ることが多いのだが、そこから見えるセクシーな工場群を、運転しているがために凝視出来ないことをいつも悔しく思っていたことを、この写真を見て思い出した。

工場萌えF

大学時代、毎年のように数回軽井沢に行っていた。当時はまだ関越道が軽井沢まで延びておらず、高崎から一般道を走ることになる。国道18号線。そこから見える緑の山の中に広がる異彩を放つ工場。大友克洋氏の「アキラ」に出てくる、アキラを封じ込めるための装置のように、異様ながら夜の光りで見るそれはとても美しかった。

工場萌え」にはこの安中の工場も紹介されている。

安中の工場は知っている人ならば知っているように、「安中訴訟」で有名なものであり、そのような背景を考えると、うかつにそれを美しいと口に出すことさえはばかれる。ただ、そのような歴史があったとしても、建造物として、そして歴史において確実に産業を育み支えているその工場の美しさは認めたい。

本書の中でも筆者の1人大山氏が言っている。「工場は企業のもので、複雑な仕組みと時に政治的な要素と、そして決して明るものばかりとはいえない歴史を持っていることなどが、「工場が何となく好き」と無邪気に言えない理由だと思う。だけど、工場について何も知らなくてもあっけらかんと「好き」と言っていいと思う。むずかしいことは後からついてくる。枠に入っていないものはだんだんと意識されなくなるものだ。そのほうが問題だと思う。」

安中以外にも、川崎や四日市など、70年代の各地での公害問題やその被害者を考えた場合、それを美しいと言うことは不謹慎かもしれない。特に、僕はその真っ只中で生まれ育った。夏休みに光化学スモッグ警報が出ると自宅に戻らなければいけなかったような時代だ。

綺麗に見えるこれらの工場を見ながらも、そのような昔を思い出す。筆者が言うように、工場を美しいと思えることがこのような忘れてはいけないことを思い出せてくれ、過去を知らない若い人にとってはそれらを知ることになるきっかけになるならば、それは良いことだろう。

工場萌えな日々 [DVD]

思えば、僕は「工場萌え」予備軍としてはかなりレベルが高いほうではないかと思う。大学が工学系だったこともあり、いくつかの工場見学をしている。昔、採鉱学科と呼ばれていただけあり、普通の学科では行かないところにも行かせてもらえた。秩父セメントでは発破で山を砕くところを見学させてもらえた。鉱山では山の神が怒るからという理由で女性を入れてくれない(女人禁制)のところがあったのだが、ここもそうだったかもしれない。帝国石油には1週間泊り込みで研修を受けさせてもらった。そのほかにも信越化学、昭和電工、TDK、積水化学など。そのころは単位を取るのに必死で工場を美しいと思える余裕は無かったが、それでも今こうやって本の中の写真を眺め、DVDを見ているとそのころが思い出させる。

でも、このDVDとかを初めから最後まで酒を呑みながら見ているニヤニヤしているのは、やっぱり普通じゃないとは思う。ま、いいけどね。どうせ変態だから。

2009年11月16日月曜日

生命保険のカラクリ

文藝春秋さんから贈呈いただいた本。米国やら広島やらに出張に行っていた関係で書評を書くのが遅くなってしまったが、この本は面白い。文藝春秋さん、ありがとうございました。

生命保険のカラクリ (文春新書)

4166607235

関連商品
「夜のオンナ」の経済白書 ――世界同時不況と「夜のビジネス」 (角川oneテーマ21)
希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学
空気を読むな、本を読め。 小飼弾の頭が強くなる読書法 (East Press Business)
裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける (講談社BIZ)
週末起業サバイバル (ちくま新書 811)
by G-Tools

ちょうどこの季節、年末調整がある。富豪でもない一般サラリーマンの方ならば、この時期の年末調整で生命保険料の控除申請を行うことになるので、自分の入っている生命保険を改めて見直す人も多いだろう。ただ、見直すとは言っても、この機会に、解約やオプションへの追加加入までを検討する人はまれだろう。ただ、「こんなに入っていたのか」と思ったりするだけのことが多いのではないか。

かくいう私もその1人だ。会社関係で入ったものから、コンサルを受けて契約をしたものまで、いくつかの保険に入っている。だが、自分でどのような保険なのかをきちんと説明できない。空で言えないのは仕方ないにしても、書類を前にしても説明できる自信がない。本書に書かれているように、生命保険というのは住宅についで、おそらく人生で2番目に高い買い物である(1千万円を超えることも珍しくない)にも関わらず。

保険を選ぶ際にキーとなるのは、GNPだ。Gは義理、Nは人情、そしてPはプレゼント。最近でもプレゼント攻撃があるのかどうか知らないが、新卒のころ私の部署の人間を片っ端から口説いていた保険セールスレディはまさにこのパターンだった。私は生命保険なんて入る気がまったくなかったので、プレゼントだけ貰いまくって、結局入らなかったら、逆ギレされてしまった。後から、あのプレゼント購入費は営業員が身銭を切って購入していたことを知り、悪いことをしたと思ったものだ。

本書では、生命保険の本質をわかりやすく解説する。日本においては公的援助が手厚くあるため、多くの場合、医療保障はさほど必要ないこと。また、保険と貯蓄というのは、現在のような低金利時代では分けて考えるべきであり、貯蓄を追求するならば、保険に頼らないほうが良い。この2点を知っているだけでも、生命保険に対する見方が変わるだろう。

保険という商品が分かりにくいものであり、複数の商品間での比較対象が難しい。こういうものだと思って諦めてしまっていた。面倒臭いことを繰り返すのは嫌だから、一度入った保険は見直さない。健康の時に入った保険はそのまま契約し続けるのが良いとも言われていた。だが、これがすべて保険会社側の策略だとしたら? 商品を必要以上にわかりにくくし、比較検討を困難にし、契約の見直し/解除が損なように思わせていたのだとしたら? このように複雑怪奇なものにしていたほうが保険会社が儲かるようになっているのだ。

規制緩和が行われて、やっと今になってこの状況に変化が見られているようだ。外資やネット生保などによる新しい展開。この本はそのネット生保(ライフネット生命保険)の副社長が書いたものだ。彼も本文やあとがきに書いているように、この本で書かれていることはある一面からのものに過ぎない。伝統的な大手生保各社にはそれぞれ言い分もあるだろう。だが、それでも、複雑な生保をごく簡単な評価軸に落として考えることができるように紐解いた本書の役割は大きい。

Amazonなどでの評価も高いようだが、それも納得できる。

生命保険に入っている人、もしくは入ろうとしている人は必読の本と言っても良い。

関心しているだけではいけないので、私も自分の保険を見直してみよう。担当営業の方、ご覚悟ください ;-)

2009年11月15日日曜日

ニコニコ動画が未来をつくる ドワンゴ物語

著者の佐々木俊尚さんからの贈呈。佐々木さん、いつもありがとうございます。

ニコニコ動画が未来をつくる ドワンゴ物語 (アスキー新書)

4048679996

関連商品
ツイッター 140文字が世界を変える (マイコミ新書)
ネットビジネスの終わり (Voice select)
Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)
ホリエモン×ひろゆき 語りつくした本音の12時間 「なんかヘンだよね・・・」
グーグルに依存し、アマゾンを真似るバカ企業 (幻冬舎新書)
by G-Tools

今ならニコニコ動画、昔は着メロで有名なドワンゴのドキュメンタリ。知っている人が何名か出てくることもあって、ぐいぐいと引き込まれるように読んでしまった。ドワンゴ物語となっているが、MS-DOSからWindows、そしてインターネット、携帯サービスへと広がってきた業界の縮図がドワンゴの歴史に重ね合わせるように紹介されている。私くらいの年齢の人にはその歴史が、また最近のドワンゴを知っている人には今のドワンゴからは想像も出来ないかもしれない彼らの成り立ちがわかる。その両方がわかる人は2倍おいしい本と言えるかもしれない。

ただ、正直、私くらいの年齢の人で業界の歴史的なところまではわかるだけの人が後半の携帯サービスやニコニコ動画の今の仕組みが生み出されるまでの話のところをどの程度理解できるかは不安だ。本の中でドワンゴの人が語っているとおり、サービスが生み出された当時でさえ、作り手とユーザーの間にゼネレーションギャップが生じており、ドワンゴは意識して若い人を雇うことさえしていたほどだ。ニコニコ動画を知らないと、この本の後半を理解するのは難しいだろう。本の中で、事細かにニコニコ動画のサービスを解説していることはない。

だが、それで良いのではないかと思う。本の中に書かれている吉本興行社長が語るように、触ってみればその魅力がわかってくる。吉本の社長大崎氏は、心斎橋筋2丁目劇場で客席の女の子の表情から読み取れたのと同じような客の対応がニコニコ動画のコメントからわかるという。このように貪欲に自分から新しいメディアやサービスの真価を把握しようと努める人だけが生き残っていくだろう。そもそも、ニコニコ動画をわかろうともしない人は、このベタなタイトルの本を買うことさえないのだから。

この本はもう1つ重要なことを伝えている。それはコンテンツの権利問題の複雑化だ。ニコニコ動画に上げられているMADと言われているような作品は作り手とユーザーという簡単な構造では語れない。ある人が音を作り、ある人が動画を作り、ある人はそれにクールなタイトルを付ける。それをさらに別の人が別の作品のモチーフとして使う。場合によっては、これで「振り出しに戻り」、再度作品の生成過程が始まる。これはJASRACのようなモデルでも、Creative Commonsのようなモデルでも対応できない。

しかし、これは本来の人間が行っていた作品を作り上げる際の工程だ。

私はジャズが好きだが、マイルスディビスもジョンコルトレーンも、みな偉大な先人をパクッてきた。さらに、自分もパクられることを良しとしていた。パクリというと不必要にネガティブなトーンがあるので、”Inspired by"と言っても良い。ただ、権利関係で言った場合には、大きな違いはない。ある楽曲のアドリブ(インプロビゼーション)に別の曲のフレーズを入れることなどは良くあることだし、セッションの開始が有名な曲のテーマであることも多い。さらには、そうして作られた/演奏された曲からさらにInspireされて生成される曲もある。ニコニコ動画で起きていることと同じだ。

著作権という枠組みが出来たことにより、アーティストやミュージシャン、小説家などの権利が守られ、文化が発展したという側面は否定しないものの、ネットを利用することにより原点回帰した複雑な著作の考えをスケールするモデルを考える時期に来ている。ニコニコ動画はそれを象徴し、我々に考える機会を与えてくれている。

<蛇足>
ニコニコ動画を知りたい人はまずは使ってみると良いし、ニコニコ大大会に一度は行ってみると良い。

ニコニコ大会議2008

2009年11月10日火曜日

就活って何だ 人事部長から学生へ

就活って何だ―人事部長から学生へ (文春新書)
就活って何だ―人事部長から学生へ (文春新書)

著者の森健さんから頂いた一冊。森さんありがとうございました。

今の会社に入って新卒採用にも多少関わるようになったり、学生向けのキャリアトークのようなものに参加させていただくことが多くなったりしたためか、大学生の方と話す機会も増えた。そこで聞く話はなんとも大変な就職活動の話ばかり。

私が学生のころは就職活動を始める時期になって、やっと社会や会社を意識し始めるという感じだった。就職活動を始める時期も4年生になってから。就職協定がまだ残っていたので、本当は8月20日から会社訪問開始なのだが、各社いろいろな名目で実質その前から採用活動は開始していた。それでも、4年生の春からの開始でほぼ十分だった。

業界/会社研究などはするが、インターネットを使うことは一般的ではなかったため、先輩に会うしかないし、その際のアポイントメントも電話でお願いするので、メールでお願いできる今ほど簡単ではない。情報も知識も不足したまま面接に望むということもたびたび。企業側もバブル期だったこともあり大量採用が必要なところも多く、おおらかな面接で済むところも多かった。企業によっては学生を絞り込むというよりも、どうにかして内定をとった学生に逃げられないかということに頭をひねっていて、内定者懇親会とか合宿という名目で泊り込みで他社への就職活動をさせないようにする会社もあった。ハワイやグアムに連れて行ったという会社もあったほどだ。

そんな経験しかしていない身からすると、昨今の就職活動の状況は本当に学生にとって気の毒としか言いようがない。私の時のように高度経済成長をまだ前提としたおおらかなのが良いとは思わないし、学生が社会を早くから意識し真剣に自分のキャリアを考えるのを悪いとは思わないが、エントリーシートを1人で50社とか多い人になると100社近く出しているとか聞くと、もう何かが狂っているとしか思えない。私に相談をしてきていたある男子学生などは、マスコミとITの2つの業界を狙っていたが、IT系は第2次志望のためか、ほとんど研究が出来ていない。あまりにも基礎知識も無いままエントリーシートを書いていたので、なんで自分でもっと調べないのかと聞いてみたところ、100個近いエントリーシートを書く必要があり、1社にそんな時間がかけられないという。時間がかけられずにいい加減なエントリーシートになってしまい、それで落とされてしまうのならば、数出しても仕方ないだろうにとは思うのだが、そんなことも冷静に考えられないくらい彼は焦っているようだった。

この「就活って何だ―人事部長から学生へ」は以下の15社の人事部長からのメッセージをまとめたものだ。
  • 東海旅客鉄道
  • 全日本空輸
  • 三井物産
  • 資生堂
  • 東京海上日動火災保険
  • 三菱東京UFJ銀行
  • サントリーホールディングス
  • 明治製菓
  • 武田薬品工業
  • 日立製作所
  • NTTドコモ
  • バンダイ
  • フジテレビ
  • ベネッセコーポレーション
  • 電通
各社の人事部長(会社によっては人財部という名前のところもあった、人が財産と考えているためだろう)から、採用活動の方針や実際の進め方、学生に望むものが生の声として語られる。方針や日程、各社の特徴などは各社のウェブサイトや説明会などでも情報を得ることができるのかもしれないが、本書では、人事部長の経歴などにも絡めて、本音での「採用」、学生から見ると「就職」に対する考え方を知ることができる。発言は会社を代表する立場としてのものもあれば、個人の価値観に基づくと思うものもあり、どれも興味深い。

誰もが言っていたのが、就活マニュアル通りに行っている人はすぐわかるということ。話せば、演じているのか、本当にそう思っているのかなどはすぐにばれる。また、ビジネスのことについては、いくら勉強しても所詮はにわか知識であり、インターンシップをやっていても自分でプチ起業をしていても、多くの場合はその会社のプロの社員には叶わない。なので、あまり背伸びをせずに等身大の自分で臨むのが良いのだろう。

日本を代表する会社としてのこの15社に共通していたのが、いまだに終身雇用を前提とした採用を考えているところだ。採用する側も失敗を極度に恐れているようだ。この場合の失敗とは、「優秀な人材を採用できない失敗」と「優秀ではない人材を採用してしまう失敗」だ。人材の流動化を前提としていれば、中途でいくらでも優秀な人材は採用できるだろうし、社に向いていない人に社外での機会を検討してもらうことだってできるだろう。終身雇用を前提としていることも、今の新卒時の就職活動をここまで過熱化させてしまっている原因ではないか。

面白いのは、何社かの人事部長が私と同じようなことを言っていたことだ。つまり、「自分のときは、こんなに大変じゃなかった」、「自分は本当にいい加減に就職を決めた」と。みんな自己矛盾を抱えながら、採用活動を行っている。そんな中で救われたのは、フジテレビ河野雄一氏(執行役員人事局長)の次の言葉。
人生の目的はいろいろとあるわけで、入った会社だけで人生が決まるわけではない。結局のところ、自分が棺桶に入るときに「あぁ、いい人生だった」といえればいい。どこの会社に入れるかも大事でですが、そのスタート時点だけで自分の人生を評価してしまうようではあまりにも寂しい。長い視点で仕事と人生を考えることが、人生も仕事も楽しくすると思います。ある意味で、仕事なんて暇つぶし。そういう風に考えることも大事なのかもしれません。
そう。仕事なんて暇つぶし。私が「紐になりたい」というと呆れる人がいるが、仕事が生活を支える手段になっているのにたまに本当に息苦しくなるのだ。その息苦しさを今の学生はすでに就職活動の時に感じていることがあるのかもしれない。

最後の章「マニュアルから脱するための就活五ヶ条」で以下の5つを挙げていた。
  • グローバル
  • 多様性
  • ストレス耐性
  • ビジネス感覚
  • 自分と向き合う
どれも当たり前のことばかりだが、「ストレス耐性」というのがわざわざ取り上げられる(=各社が共通のキーワードとしてあげていた)ということが、今の状況を物語っている。今に日本は就職活動でメンヘラーが続出するようになるんじゃないだろうか。

以前に書いた「就活のバカヤロー」の書評もあわせてどうぞ。

2009年10月16日金曜日

夜の公園



最近、夜に1人で公園に行くことが多い。会社からの帰り、途中の駅で降りると公園を横切って自宅に向かうことになる。また、その同じ公園は自宅からのジョギングに最適な距離にあるので、走りに行くことも多い。

ある日のTwitterに次のように書いた。
月に誘われて途中の駅で下車した。5kmくらい初めての道を歩いてきた。学生街だったため、大学生カップルが夜道で話している姿も見かけたし、静かな住宅街では年上と思われる女性にお持ち帰りされる男の子も見た。上を見れば月だし、道は道で刺激的だし、夜10時くらいの街っていつもこんななの?
http://twitter.com/takoratta/status/4578522766

川に沿って出来ている公園があって、夜でかなり暗かったためにちょっと躊躇したけど、中を歩いてみた。公園に入ってすぐに、上半身裸で仁王立ちしている男性を見つけ、ちょっと怖くなったが、短距離走の練習をしている陸上選手と判明。ほかにも公園をジョギングする人が何人かいた。
http://twitter.com/takoratta/status/4578551705

川の小さい堤防で横になって電話している男性、それぞれの自転車で来て、ここで待ち合わせたのか、2台置いてある自転車の横で静かに寄り添っているカップル(あれは絶対に蚊に刺されていると思う)。女性二人で上空を見上げ、月を語ってもいたし、夜の公園ってこんなにドラマチックなの? 今日だけ?
http://twitter.com/takoratta/status/4578590524

あんまり、夜に公園に行くなんてしていなかったのだけれど、なかなか面白い。人々の後ろにあるそれぞれのドラマを想像したりして。

そんなことがあったので、川上弘美さんの「夜の公園」を読んでみた。純粋にタイトルだけに惹かれた。

簡単に言うと、複雑に絡みあう人々がくっついて離れるっていう物語。文体が独特というか、私にとっては変で、入り込めないし、ストーリーも浅薄。抱き合ってばかりの内容なので、女性向けの官能小説かとも思ったけど、描写が薄いので、これじゃそういう楽しみも出来ないだろう。

センセイの鞄」はまだ良かったんだけど。この作家は私の趣味とはちょっと違うのかもしれない。もうちょっと読んでみようとは思うけど。

夜の公園 (中公文庫)

4122051371

関連商品
なんとなくな日々 (新潮文庫)
海 (新潮文庫)
ミーナの行進 (中公文庫)
此処彼処 (新潮文庫)
光ってみえるもの、あれは (中公文庫)
by G-Tools

2009年10月14日水曜日

先週読んだ本そのほか3冊

読書の秋。というわけでもないが、先週は時間を見つけては本を読んでいた。個別に書くのがちょっと辛くなったので、まとめてそのほか3冊ほどのレビューを書いておく。

被告人、もう一歩前へ。
被告人、もう一歩前へ。

大川興業の阿曽山大噴火氏は裁判ウォッチャーとして知られている。人気のあったTBSラジオ「ストリーム」でコーナーを持っていたり、新聞などにコラムを持つなどしている。その阿曽山大噴火氏(って、これ、どこが苗字でどこが名前だ?)の傍聴記をまとめて書籍化したもの。時間つぶしには良いが、それ以上でもそれ以下でも無し。被告や証人などの名前が伏せられているものが多い。著名人の裁判などもあり、それなどは検索すればひっかかるのだから、あえて伏字にした理由がはじめ良くわからなかったのだが、これはまだ判決が確定していないものが多いから、無罪になった場合を考えてのことであろうことに気づいた。

完全失踪マニュアル
完全失踪マニュアル

完全自殺マニュアル」は何度も読み直した。別に死にたかったわけではないが、問題の書と言われると興味が湧いたからだ。この「完全失踪マニュアル」はヴィレッジヴァンガードで見つけて購入したのだが、買ってからかなり前(1994年)の書籍であることと、すでに読んだことがあることに気がついた。だが、ほとんど内容を忘れていたので、楽しく読むことができた。失踪について短期から長期に渡る3つほどのパターンでその具体的な方法を解く。実際にやるかどうかはともかくとして、いつでもリセットはできるっていうことを知っているのは悪くない。私など、ここまで簡単だということが再確認できると、いつでもリセットボタンを押したくなってしまうのだが。

高校野球「裏」ビジネス (ちくま新書)
高校野球「裏」ビジネス (ちくま新書)

数年前に世間を騒がせた高校野球の特待生問題。ボーイズリーグという存在、元プロ野球選手が巣食う世界。野球を高校経営戦略の柱とする高校、野球の特待生制度によって進学が可能になる経済的に厳しい家庭の子供。単純に何が良くて何が悪いと言い切ることが難しいことがわかる。高野連に対しての厳しい意見が聞かれるが、その後、この問題はどうなったのか。

2009年10月13日火曜日

バーボン・ストリート

1984年の作品だから、エッセイの中に登場する日常品なども多少年季が入っている。

井上陽水から宮沢賢治の雨ニモマケズの詩を思い出したいと夜に電話を受け探しに行くところなど、今だったら、夜遅くまでやっている書店など都心ならすぐに見つかる。そもそもこのぐらい有名な詩だったらインターネットで検索すれば一発だろう。

そう、こんな風に、ちょっと昔のちょっと不便だった時代に書かれた沢木耕太郎氏のエッセイだ。

同じようなエッセイを書く人は多くいるが、私が沢木氏が好きなのは、「深夜特急」で見られるようなモラトリアムに対峙する男を代表するような存在であり、また無類の酒好きであるところなどなのだが、やはりなんと言ってもその文章のうまさを忘れてはならない。このエッセイでも、氏の日常を語ったように過ぎないような内容的には軽いものであっても、その文章構成能力の高さで、思わず引き込まれてしまう。

バーボン・ストリート (新潮文庫)

410123504X

関連商品
チェーン・スモーキング (新潮文庫)
彼らの流儀 (新潮文庫)
敗れざる者たち (文春文庫)
人の砂漠 (新潮文庫)
世界は「使われなかった人生」であふれている (幻冬舎文庫)
by G-Tools

最近、一時あれほど読んでいた「仕事術」や「勉強法」などの本を一切読まなくなった。書店に行く度に平積みにされているのを見ると吐き気を催すほど嫌いになってしまったのだが、それは流行るとそれを嫌いになるという天邪鬼な性格のためだけではない。そこまで効率を求めたって、なれるのは気持ちの悪い金太郎飴みたいに同じことをやるだけのロボットのような人間ではないかと思い始めたからだ。

速読術を極めて本を読むよりも、途中つまらなかったら頭を上げ、周りのものに気をとられながらも進めて行くようは読書に私は魅力を覚える。

予定表通りに進められなくても、途中割り込みで入ってしまった仕事に没頭してしまったがための副産物を愛おしく思えるような人とずっと付き合っていきたい。

今日中の仕事を終わらせられなくても、どうしてもという友人との付き合いで徹夜して飲み明かしてしまうような人間でありたい。

つまり、人間っていうのは非効率であるからこそ魅力なのではないかと思う。脳をそんなに最適化しなくても良いのではないだろうか。ストイックなことは魅力だが、ストイックさはそれと対比される人間臭い生活との両輪で成り立つのではないか。

この本に収められている「退屈の効用」というエッセイでも次のように書かれている。
 かつて、売春婦だったといわれる女性を集めて共同生活を送っている、一種の「村」のような施設を訪れたことがあるが、その「村」で特徴的なことはテレビが存在しないことであった。その村の長がテレビは敵だという見解を持っていたからだ。
 「テレビは強制的に貴重な時間を奪う。貴重な、というのは、その時間にすばらしいことができるのに、というのではない。退屈で不安な時を奪うからこそ、テレビは敵なのだ。退屈で不安だから、人は何かを考え、作ろうとする」
 ストイックすぎるといえないこともないが、退屈が何かを生み出すという彼の考え方には説得力がある。私にしても、もの書きになり、いろいろなところで書くようになった文章のモチーフの大部分は、退屈で退屈でたまらない頃に、街をうろついている時に胸の片隅に胚胎したものから始まっているように思える。退屈も捨てたものではないのだ。いや、それどころか、退屈はできている時に深く、徹底的に味わっておくものかもしれないのだ。退屈こそ若者の特権だといえなくもない。
 やがて年をとるにしたがって、退屈をしみじみ味わうことができにくくなっていく。仕事が忙しくなり、家庭での雑事が増えてくる。退屈にどっぷりとつかるどころではなく、せいざいが小間切れに訪れる暇な時間をやりすごすことができるくらいになる。
以前、雑誌に寄稿を良くしていたころ、まだ大学生だった別の執筆者の執筆スピードに驚嘆し、悔し紛れに「学生は時間が無限にあるからね」と言っていたが、実際、若いころは時間が無限にある。その無限の時間を就活などというシステムに窮しているのを見ると実に勿体無い。やることはあるのに、ぼーっと過し、将来への夢と未来への不安を考えるのを先送りにして、アルコールで空腹を埋める。そんなことに時間を使って欲しい。と書いたところで、今の自分そのものなことに気づいた。こりゃ、駄目だ。

最近、私はずーっとスコッチウィスキー派なのだが、久しぶりにバーボンを呑みたくなった。

2009年10月12日月曜日

アイデン&ティティ 32

あの「アイデン&ティティ」に第3部があるとは知らなかった。教えてくれたヴィレッジヴァンガード吉祥寺店、ありがとう。

アイデン&ティティを知ったのは2003年。ちょうど映画公開の少し前だ。おそらく映画公開に合わせたのだろう書店で文庫「アイデン&ティティ―24歳/27歳」が平積みになっているのを買った。バンドブームが去った後もロックであることにこだわり続ける主人公を描いたコミックだ。ちょうど自分がバンドをしていたころと重なるし、社会との折り合いのつけ方(結局、つけれていないのだが)に悩むところなどにもシンクロするものを感じて、のめりこんでしまった。

アイデン&ティティ―24歳/27歳 (角川文庫)
アイデン&ティティ―24歳/27歳 (角川文庫)

映画は、今何年だ!?と言いたくなるようなというか、ATGちっくなというかな感じの映画なのだが、監督田口トモロヲ/脚本宮藤官九郎というこれまたすごいペアで作られた。興行的なことを考えた場合の映画の出来としては、今ひとつのところもあるかもしれないが、私としては、むしろ一般に迎合していないようなところに惚れたという感じだ。また、このブログでも何回か言っていると思うが、私が日本の三大薄幸女優の1人と認定した麻生久美子さんの演技にもうっとりする(主人公の彼女役で登場)。

アイデン&ティティ [DVD]
アイデン&ティティ [DVD]



今回買ったのは、このアイデン&ティティの第3部となる「アイデン&ティティ32―アイデン&ティティ 第3部」。CD売上が伸びないために、カバーをやることになった主人公のバンドとタレントとして活躍する友人の癌発病。そのような中で、再度自分たちの道を見つめ直すというストーリー。この友人が池田貴族をモデルにしていることはみうらじゅん氏も「青春ノイローゼ」で明らかにしている。

アイデン&ティティ32―アイデン&ティティ 第3部
アイデン&ティティ32―アイデン&ティティ 第3部

この第3部も前の2作と同じく、ロックを通じて生きることとは何かを問いかけている。青臭くなるようなテーマだが、ボブディランだし、みうらじゅんだし、ロックなのだから、何を言っても許される。みうらじゅんのへたうまなコミックなのもまた良い。

この第3部でも、映画では麻生久美子さんが演じた主人公の彼女の存在感が大きい。登場する箇所はそれほど多くないのだが、姉のように母のように、そして恋人というよりも同志として、ロックの神様のボブディランとともに主人公を支える。前作で彼女がニューヨークに留学する際に主人公に残した手紙の一節がこの第3部でも出てくる。
私のために
君のために
私と君のために
私たちの生きている事は
実験
前例もマニュアルも
ない
やれる事を探す
実験
ふさわしい事を見つける
実験
誰もやった事のない
私と君のための実験
こんな生き方を私もしてみたい。